ポッター症候群の次男の記録

第二子が19週3日でお空に還りました。その記録。天使ママ。

世の中は進んでいた

ポッター症候群の赤ちゃんとお別れしてから3年が経とうとしている。

 

寝ない長男の長〜い寝かしつけの最中に、寝落ちしないようスマホを見ていたらふとこんな記事が飛び込んできた。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79713?imp=0

 

なんとポッター症候群の治療を試みている先生がいる。

 

私も当時、読み漁ったネット情報の中で「人工羊水注入」のことは見つけていたけれども、その治療法を確立しようとしているお医者さんがいる。

そして実際に助かった赤ちゃんまでいるそうだ。

 

奇しくもその赤ちゃんの胎児ネームがうちのお空にいる息子と同じ名前。

 

縁を感じずにはいられなくて、2年ぶりのこの投稿です。

 

 

私の時は、凄く珍しい病気だと言われたけれども、

だからと言って学会に発表するだとか、産まれた子に対して特に何にも調べたりすることもなく。

致死性の遺伝子異常の病気は「自然淘汰だから仕方ない」で話は終了なのかなと、少し寂しかった。

 

とはいえ

どんな受精卵でも医学で無理やり命を繋ぎ止めます!というのは違うし。

だから概ね納得はしているけれども

親としては苦しみに苦しみ抜いて産んだ我が子がせめて医学の発展に少しでも貢献出来たら良かったのにな〜、という思いは正直あった。

何か一つでも我が子が世界に貢献出来たらやはり親としては嬉しいじゃないですか。

(もちろんそれが無くても、そもそもお腹に宿ってくれたことに意味があるけれどね)

 

特にポッター症候群というものは、妊娠が中期に進んでから判明するものなので、自然流産などの「淘汰」よりも母体にかなり負担が掛かる。

肉体的精神的にも。

(決して流産の方が楽、という話ではないです)

 

16週を過ぎてしまうので陣痛促進剤を使って「お産」をしなくてはならないし、

産まれた子供は市役所へ死亡届を出して火葬をしなくてはならない。

 

漁ったネット情報の中では、病気の発見が遅れて人工妊娠中絶可能な期間を過ぎていたため、ただただ赤ちゃんが自然に死ぬのを待つしかなくなってしまったという悲惨な例もあった。

(胎児が大きくなればなるほど赤ちゃんの奇形は進むし、お産は大変なものになる。何よりお母さんの精神状態が心配)

 

だから少しでも助かる命が増えて、お母さんの努力が報われるものになれば良いなと願う。

 

 

治療が確立したとしても

妊娠期から人工羊水で育てたのち、出生後すぐの人工透析、大きくなってからの腎臓移植など

負担はかなり膨大なものだとは思いますが

 

医学の発展と共に、ポッター症候群の赤ちゃんを授かったお母さんが、悲しい涙を流さなくても済むような世の中になるのならそれは喜ばしい事だなと思います。

 

命の数だけ奇跡がある。

意味のないものなんてない。

 

 

 

 

ここまでお読み頂きありがとうございます。

 

 

新しい命

2018.9.12

 

続きが書けないでいてごめんなさい。

最後まで綴りたいのですが、思い出すと辛い事もあって・・・

 

 

 

 

実は、第三子を授かりました。

その子の予定日が、今日出ました。

4月5日だそうです。

次男が産まれ、そしてお別れしたちょうど1年後になります。

 

 

実際は、帝王切開の予定だから3週くらい早くなるとは思うけど、この日付を聞いた時、次男の存在を感じずにはいられませんでした。

ああ、ちゃんと繋がっているんだな。

見ていてくれてるんだな。

守っててくれて、有難う。

そんな風に思いました。

 

どうかこれからも、兄弟たちを見守っていてあげてね。

パパとママはあなたの事がずっと大好きよ。

 

入院

2018.4.3

 

スクリーニング検査から5日後。

お産のため、入院する事になった。

 

前日までに、やりたい事は済ませた。

2回目のお産なので、産後はしばらく動けなくなるだろう事は分かっていて、一人でカフェランチをしたり、日用品の買い出しをしたり。

あと、保育園の送迎もしばらく出来なくなるから、先生ともお話をした。

 

「明日から、入院する事になりまして」

その先生とは妊娠初期のつわりの話をしていたので、第二子妊娠を知っていた。

「お腹の事でですか?」

「はい、実は、諦めなくちゃいけなくなりました」

その先生も2人のお子さんがいて、みるみる悲しい顔をされて、どうしてですか?と聞かれ、事の顛末を話した。

先生は聞いているうちに泣いてしまった。

私は、泣き過ぎて枯れてしまっていた。

この話を何回も頭の中で反芻し過ぎていて、この悲しい現実に順応してきているようだった。

「そんな悲しい事って・・・私もお産をしてるから、どんなに辛い思いをされているのか・・・」

 

話は逸れるが、

死産を迎える妊婦に対してどんな言葉を掛けたらいいのかは、身内も友人も周りの人も、本当に苦悩されると思う。

実際、これを言われれば正解!みたいなのは無い。

逆にこれは言われたくない、は色々ある。

 

「まだ若いから」(30過ぎてる)

「また産めるから」(この子は二度と帰ってこない)

「1人目じゃなくて良かったね」(2人目でも良くない)

(何も知らない人から)「子供1人?次は女の子産むといいわよ〜楽だから」(命の重さを知れ)

「きょうだいいると良いわよ」(もういる)

などなど・・・

 

幸い、そんなタブーな言葉を掛けてくる周りの人は今のところ誰もいない。会社も、身内も、保育園のママ友も、友人達も、結構いろんな人に話したけどみんな優しい人ばかり・・・

電車の中で話しかけてくる悪意のないおばあちゃん方には、何度か「きょうだい云々」は言われたけど(^^; それは仕方ない。いちいち重くなっててもしょうがない。

 

 

 

 

話を戻して。

お腹の子は実は年末のインフルエンザ流行真っ最中に宿っていて、息子と私がインフル感染していた時に検査をして妊娠判明した子だったので、内科の先生から「インフルエンザが胎児にどのような影響を及ぼすか分かりません」と言われていたので、判明した時「あまり期待しないようにしよう」と思っていた。

だから安定期に入った時は嬉しくて、ホッとして。

(今思えば、どんな状況であろうとも命が宿った事に対して心から嬉しく思うべきだった、と反省している)

※ちなみに、ポッター症候群とインフルエンザ感染は関係ない、とS先生が断言していた。はっきりした原因は無いが、腎臓の疾患は遺伝が多く、次に受精卵の染色体異常であると。

 

 

 

「せっかく安定期入って、良かった〜って思っていた矢先だったんですけどね。安定期後の16〜18週になって初めて分かる病気で・・・」と話しているうちに、安定期に入ったときの嬉しさを思い出して、切なくなって泣いてしまった。

妊娠に、安定期なんて無いんだなと思った。

 

先生に話す前に決めていた事は、死産を迎える不幸なママと思われたくない、お腹の子は悲しい出来事とは思われたくないという事。

だから、先生にお願いしたのは、この子は意味があって来てくれた事、それは今後家族にとってプラスである事、ちゃんと(保育園に通っている)息子のきょうだいであること、だから悲しい事として捉えて欲しくない、ちゃんとうちの家族はこれからも幸せにやっていくから、見守っていて欲しい、と伝えた。

先生もニッコリして、これからも息子くんをしっかり見ていきますと約束してくれた。

 

 

入院当日の朝も、自分で息子を保育園に送った。

先生にお会いして、「今日行って来ます!」と話したら「(お産)頑張って!!!」と笑顔でガッツポーズしてくれた。

 

 

当日は14時から入院。

義母が付き添いで来てくれた。

祖母(私の実母代わり)が心配して何度か電話をくれていて、「一人で入院するのは心細いから、誰かに付添いして貰いなさい」と言っていたけど、本当に義母がいてくれて良かったと思う。

 

1時間くらい待合で待たされたのち、外来の診察室に呼ばれる。

そこでいきなり、子宮口にラミナリア挿入。

これが、めちゃくちゃ痛い。

 

 

痛い!!!

 

痛すぎる!!!!!

 

 

え、もうこんなに痛いの!?まだ入院の部屋にも入ってないのに!?!?と頭の中テンパりまくる。

言うなれば、立ってられないくらいの生理痛の子宮を鷲掴みにされて、グリグリひねられている感じ。

 

私は子宮後屈のため(何故か第一子お産後にそうなった)、最初のラミナリアは形が合わず、無理やり突っ込んでみたが入らず、曲がったタイプの通常より細いラミナリアを一本挿入出来ただけとのこと。

先生も「痛い思いをさせるつもりはないんだけど、、、入らないな、、ごめんね〜」と。。。

 

無駄に痛い思いをされられた(T_T)←頭の中はこの顔文字でいっぱいだった。

そしてまだほっそいの1本だけだなんて・・・と早々に心が折れた。

 

 

たった1本なのに、もう生理痛のような鈍痛が始まる。

いよいよ、これからあらゆる痛みに耐えるのか、と怖くて仕方なかった。

しかも痛い上に悲しいお産だなんて。

何を望みに頑張ればいいのか、何処にも拠り所がなくて心が迷子になっていた。

 

 

病室に案内された。3階の病棟。

2階にベビーステーションがあるのは知っている。あぁ、やっぱり配慮されたんだなぁ、と。

生きた我が子には会えないけど、他所様の赤ちゃんに今のところ嫉妬心や憎しみなど汚い心は湧いて来ていなかったので、入院中に新生児の泣き声とかお顔が見れるのは密かに少し楽しみにしていた。

結局3階の病棟では一度も新生児に会えなかった。(結果会えなくて良かった、とも思っていない。ほやほやの赤ちゃん、見たかった〜)

 

 

看護師さんから、この後の説明。

この時に、変な話だけれども、もう赤ちゃんのエコーとか、NST取ったりとかは、しないんですよね?と聞いた。

それをしたら、余計悲しくなってしまうから、しないですね・・・とちょっと切ない顔で言われる。

もう生きている赤ちゃんは見られないんだ、と悲しくなって沢山泣いた。

(思えば我が子はエコーの時あまり動いてくれていなかった。一度しか、「あ、動いた!」って思わなかった気がする。)

 

 

看護師さんの説明が終わって出て行ったあと少しして、今度は助産師さんが来た。

次はなんの説明だろう?と思ったら、その人は仕事があった訳ではなく、個人的にどうしても話したくて来た、とのこと。

 

私も、同じ経験をした事があるから、と。

 

「あのね、お腹の子は、全部知ってるの。産まれる前に神様から自分の運命を全ー部見せられて、それから来るの。

だから、自分を責めないでね。

こういう運命って知りながら、makoさんに会いに来たんだから。」

と伝えに来てくれた。

「私が病気が分かってからすぐ諦める決断をする事も、分かってたんでしょうか?

もっとお腹の中で一緒にいる事も出来たのに・・・」

「うん、ちゃんと分かってると思うよ。それでもmakoさんの子供になりたかったのよ」

そう慰められて、もうぐちゃぐちゃになりながら泣いた。

その人は、初めての子を子宮頸管無力症で亡くしたけど、その子のおかげで自分の病気が分かって、その後2人産んだとのこと。

その後産んだ、という点に希望が持てたのと、一番最初のお兄ちゃんは、ずっと家族を守ってくれている、神様のような存在なの、と。

何か不思議だけど、あ、今護られたな、って思う瞬間が沢山あるそう。

だから、大丈夫だよ、と話してくれた。

赤ちゃん絶対可愛いよ!!!と言ってくれた。

本当に優しくて幸せそうな顔をしていた。

 

あと、「中絶って言葉が嫌で・・・」と言ったら、被せるように「中絶じゃない!立派なお産なの!!」と励ましてくれた。

そう、その言葉が欲しかった。

中絶なんかじゃない。この子に向き合った、大切なお産なんだと。

 

あの助産師さんに出会えて、本当に本当に心救われた。

あの助産師さん1人いなかったら、この入院はただの悲しく苦しい出来事ばかりになるところだった。

毎日掛けてくれた言葉を思い出す。本当に感謝している。

 

 

義母はというと、ただ同じ部屋に居てくれて、この一連のやりとりを見て知っていてくれるだけで嬉しかった。

振り返ると、最後まで、そして今でもただの一度も泣かずに側にいてくれた。

義母にとっても、孫を喪ったのに。

悲しいはずなのに、私に本当に気遣ってくれているんだろうな。

本当に強くて優しい人。

有り難い。

 

 

 

 

いつ次のラミナリア挿入になるのかとドキドキしていたが、初日は最初の一回きりで終わった。

明日は、何回あの痛みを経験しなくてはならないんだろうと、とてもとても怖かった。

 

 

寝る前、赤ちゃんのお棺に入れるために、折り紙を折った。

折鶴に、赤ちゃんへの手紙を書いた。

あとは花折り紙というものを買っていたので、桜や百合などの花を折った。

折りながら、お腹をさすって、綺麗なお花出来たよ、寂しくないように沢山折るからね、お棺の中綺麗にしようね、などと話しかけた。

ママ明るくバイバイするからね、お腹に来てくれてありがとう、大好きだよ、もうちょっと一緒にいようね、離れても悲しくないよ、ママが死んで記憶が消えて無くなるまで、ずっとあなたのママだからね、お空に帰ってもママはずっとあなたの幸せを願ってるよ、ちゃんと迷わないで神様の元に帰れるようにママお願いするからね、次はちゃんと健康な身体貰ってくるんだよ、オシッコの仕方教えてもらうんだよ、・・・

 

沢山沢山お腹に向かってお話しした。

 

 

 

 

決断

2018.3.30

 

昨日のS先生の診察の後、元の病院に電話して翌日主治医の診察予約を入れた。

 

「お腹の中の赤ちゃん、ダメみたいで、明日先生の予約入れられますか?」と言ったら快く入れてくれた。

 

 

私と旦那の気持ちは最初から一致していた。

今回は、諦めようと。

 

諦めようと言っても、諦めたくなくても、結果は死の一択しか無かった。

 

ここで言う「諦め」は、お腹の中でどれだけ育てるかと言う事。

 

私は息子の時に逆子で帝王切開していて、第二子も帝王切開の予定であった。

 

更に今回は前置胎盤があり、大量出血が予想されるためどっちみち経膣は出来ない状態であった。

 

このままお腹で次男を育てても、大きくして産んだら母体にかなりのリスクを背負う。

帝王切開は回数制限があるから、次の子のためにお腹は切りたくない。

大きくして産んでも、結局は死産。

 

私たちは冷静に、小さいうちに産もう、と決めた。

 

 

 

主治医の先生は、私たちがすぐに決断するとは思っていなかったらしく、「今後経過を見ていくなら、うちではなくて周産期医療の充実しているY病院で今後は診てもらった方が良いですね」と話をしてくれた。

 

今後なんて、無いんですよね。

 

私たちは、また子供が欲しいです、だから今回は諦めます、と伝えた。

 

私たちはと言っても、夫は仕事で居なかったので、私一人で伝えた。

息子を抱きしめながら、お腹の子は諦めますって言うのは本当に罪悪感しか無かった。

 

先生は「そっかぁ〜・・・。」とだけ言って、それじゃあ、と看護師さんに指示をして中期中絶に向けての準備がいそいそと進められた。

 

中期中絶はまず2日かけて子宮口を広げる処置をして、3日目に陣痛促進剤を入れて普通のお産のように陣痛起こして下から産み、順調に行けば4日目に子宮内清掃術をしてそのまま退院、との事。

 

赤ちゃんはどのタイミングで亡くなってしまうのか、夫婦で気になっていたので尋ねる。

 

おそらくまだ体力がないので、陣痛促進剤を入れて子宮が収縮し始めてママが痛いなーと感じ始めた時には、もう亡くなっているのではないかという事だった。

夫は、産まれた瞬間なら一瞬でも動いている姿を見られるのかな?と期待していたので、聞いたらがっかりするだろうなと思った。

 

 

ではまたお呼びしますね、と看護師さんに言われて診察室を出た。

 

 

 

しばらくして、別室へ。

 

そこで淡々と、中期中絶に向けて今から採血と心電図、肺活量の検査をします、入院の日程はこれこれです、と話された。

はい、はい、と聴きながら、私は中絶をする悪いお母さんだと思われてるんじゃないか、と不安になった。

話が終わって、あの、私はこれで良いんでしょうか、しょうがないんですよね?お腹の子供に対して、自分たちの都合で諦めて、申し訳無くて…と支離滅裂な問いかけをした。

 

看護師さんは、まぁ、今回の場合は、仕方ないですよね、もし私でもこう決断するしか無いですよね、と仰った。

淡々と説明されていた看護師さんに、一瞬だけ同情の眼差しを向けられて、そこで涙が出た。

泣かないなんて薄情なお母さんだな、って思われるのが怖いから、というのも正直あった。

でも、こういう時のように、どん底過ぎると涙は遅れて出て来るものだと思う。

そして一度泣き始めるとなかなか止まらない。

説明が終わって部屋を出て、会計待ちの間、前日とは真逆で待合には人が沢山溢れている。

静かに、周りに悟られないように、ポロポロ涙をこぼした。

何も知らない無邪気な息子が絵本を持ってきたりあっちこっちに行くので、待って〜とか、こっちだよ〜、本ないないしてね〜なんてたわいも無いママの振りをしながら。

 

 

永遠に届かないもの

毎度長文になるのでなかなか続きが書けずです。

もし興味を持って読んで下さってる人がいたらごめんなさい。

 

お別れして2週間が経過して、だいぶ前向きになって来たけど

時たま無性に愛しくて寂しくなる事があります。

 

そこに確かにいる我が子なのに、どんなに手を伸ばしても、心で願っても届かない子。

 

ちっちゃくて、可愛くて、抱き締めたい。

 

また子供が出来たら満足するのかな、と思ってたけど、多分そうではないと思う。

例え二人目、三人目が産まれても、「あの子が居てくれたら3人だったな」「あの子がいたら4人だったな」と、ひたすら想い続けるんだと思う。

愛情

子供が増えて上の子が赤ちゃん返りしたら、

「ママの愛情はね、赤ちゃんとあなたで半分こではないんだよ。

1から2に増えるんだよ。」

って言って聞かせようと思っていた。

 

次男がお空に帰ってから、息子や夫への愛情は以前よりも増した気がする。

 

生死に関わらず、子供が増えればきちんと愛情は2倍になるらしい。

 

幸せな事だな。

 

精密検査

2018.3.28

 

スクリーニング検査の日は木曜日。

なるべく早く紹介先のS先生にかかってくださいと言われたが、土日は病院が開いていないので、金曜の朝一で紹介状を取りに行き、その場で紹介先の病院に予約の電話をした。

S先生は2院にお勤めで、両方に掛けてみたがなかなか直近の予約ができず、2〜3週間後になってしまう。

事情を話すと、どちらの病院もすぐに検査した方がいいとの事で、「他の先生なら来週すぐ診れるのですが」と言って下さったり、折り返しの電話を下さったり、かなり優遇された対応を受ける。

と同時に、それほど深刻な状態なんだ・・・と現実を突き付けられる感じがした。

結局、キャンセルが出たとの事で、当日午後15時から予約を入れられた。

 

紹介元の病院に「今日予約が取れました」と報告すると、主治医から呼び出し。

人気の先生なのでいつも2時間待ちなのに、間に時間を取って頂き話をすることに。

こんなにバタバタとしてて、病院からも特別に計らってもらっていて、良いような悪いような。

この日は予約を取り終えたら会社に行く予定だったが、急遽お休みする事に。

結局、会社にはスクリーニング検査をした日から出勤出来ず終いになってしまった。

 

 

 

15時。S先生にエコー検査をしてもらう。

赤ちゃんの脳や心臓、骨格、胃、膀胱、そして腎臓まで30〜40分掛けてじっくり検査してもらう。

 

心臓は綺麗に4つの部屋に分かれていて、血液の流れも正常ですね。

小脳は今これだけの大きさになっているから、18トリソミーなどではないですね。脳系の異常ではなさそうですね。

 

ここまで言われて、この赤ちゃんはきちんと成長出来てる、もしかしたら大丈夫かも、と少し希望が湧いた。

 

肋骨も綺麗ですね。ただ、これから大きくなって行くうちに、肺が低形成となり、お腹が大きくなるのに肺が無いせいで肋骨の大きさが心臓の大きさと同じままになり、釣り鐘型のお腹になっていくでしょう。

 

赤ちゃんは羊水を飲んでおしっこで出す事で肺が膨らみます。赤ちゃんの膀胱がエコーで確認出来ないということは、膀胱にお水が溜まってないという事。今さっきおしっこしたばかりという可能性もあるが、この大きさの赤ちゃんなら20分くらいでおしっこが溜まるはず、このエコーの時間のうちに一度も確認出来なかったとなると、やはり羊水が飲めていないんじゃないかな。

16週の時に胃腔が見えなかったのも、羊水を飲めていなくて胃にお水が溜まってなかったからエコーで見えなかったんだと思う。

 

そして腎臓。

エコーで映し出された画像が、ネットで調べた通りの空洞がボコボコ空いてる状態で、見た途端に希望が一気に消えていった。

正常に発達している部分も少しだけあるが、両方の腎臓の大部分に多嚢胞が見られる。

通常腎臓は1個あればヒトの一生ぶんは賄えるんだけど、この子の場合は両方ともこうなってしまっている。

また妊娠後期に多嚢胞になってて肺がある程度作られた後だったらまだ可能性はあったかも知れないが(気休め程度の可能性だとは思う)、初期の段階で大部分がこうなっていると、産まれてから呼吸をする事は厳しいし、呼吸が出来たとしても一生透析をしていくというのはあまり現実的ではないよね、と。

 

S先生は本当に優しく、丁寧な言葉でゆっくりと説明してくれた。

私はネットで調べた情報の通りのままだなーと思いながら、はい、はいと頷くだけだった。

そして、この子は、産まれてきても生きられないんですね、と確認をした。

 

赤ちゃんはまだ成長段階だし、今後も変わっていく可能性もあるが、先生の見立てではこの腎臓の状態だと羊水はどんどん少なくなり、正産期を迎えてから死産になるか、それとも成長の途中で亡くなってしまうか、どちらかになるだろう事の宣告を受ける。

でも赤ちゃんをどうするかはご両親の意見が尊重されますので、今すぐ諦めなさいとは誰も言わないし、お腹で育てていってもいいし、お二人でゆっくり考えて下さい、とのこと。

 

 

 

 

 

待合室には誰もおらず、会計待ちの間、やっと涙が出てきた。

 

一人でただただ泣いていた。

 

病院の人も慣れているのか、誰も声を掛けてこなかった。

 

 

保育園に息子を預けていたので、義母に連絡をして、赤ちゃんダメでした、この精神状態ではお迎えに行けないので、行ってもらえませんか?とお願いする。

「気をしっかり持って帰ってきてね。」と言われる。

気をしっかり、しなくては。私は既にママだから。

 

でもどうしても涙が溢れ、帰りのバスや電車の中で静かに泣いてしまった。

 

 

 

 

18時。家に着いたと同時に息子と義父母が帰ってきた。

義父母にとっても青天の霹靂な話を、突然聞かされたと思う。

赤ちゃんどうしたの?どうしてダメなの?今後どうなるの?を一つ一つお話しした。

義父母はボロボロ泣く私をただ冷静に慰めてくれた。

家事もままならないので、そのまま義実家に行くことにした。

ちょうどその日は姪っ子がお泊りに来る約束をしていたそうで、義姉が来ると聞いていた。

義姉にも直接話がしたかったので、丁度良いと思った。

 

義姉も涙を流しながら、辛いね、と聞いてくれた。

何も出来ないけど、私はmakoちゃんの味方だよ、と言ってくれた。

赤ちゃんのこと一生忘れないよ、とも。

 

そのあとは何も知らないまだ幼い姪っ子達と、一緒にご飯を食べたりなぞなぞや折り紙をして遊んだ。

この子達のお陰で、心がとても楽になった。

子供は本当に大人を救ってくれるな、と思った。

 

 

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