入院
2018.4.3
スクリーニング検査から5日後。
お産のため、入院する事になった。
前日までに、やりたい事は済ませた。
2回目のお産なので、産後はしばらく動けなくなるだろう事は分かっていて、一人でカフェランチをしたり、日用品の買い出しをしたり。
あと、保育園の送迎もしばらく出来なくなるから、先生ともお話をした。
「明日から、入院する事になりまして」
その先生とは妊娠初期のつわりの話をしていたので、第二子妊娠を知っていた。
「お腹の事でですか?」
「はい、実は、諦めなくちゃいけなくなりました」
その先生も2人のお子さんがいて、みるみる悲しい顔をされて、どうしてですか?と聞かれ、事の顛末を話した。
先生は聞いているうちに泣いてしまった。
私は、泣き過ぎて枯れてしまっていた。
この話を何回も頭の中で反芻し過ぎていて、この悲しい現実に順応してきているようだった。
「そんな悲しい事って・・・私もお産をしてるから、どんなに辛い思いをされているのか・・・」
話は逸れるが、
死産を迎える妊婦に対してどんな言葉を掛けたらいいのかは、身内も友人も周りの人も、本当に苦悩されると思う。
実際、これを言われれば正解!みたいなのは無い。
逆にこれは言われたくない、は色々ある。
「まだ若いから」(30過ぎてる)
「また産めるから」(この子は二度と帰ってこない)
「1人目じゃなくて良かったね」(2人目でも良くない)
(何も知らない人から)「子供1人?次は女の子産むといいわよ〜楽だから」(命の重さを知れ)
「きょうだいいると良いわよ」(もういる)
などなど・・・
幸い、そんなタブーな言葉を掛けてくる周りの人は今のところ誰もいない。会社も、身内も、保育園のママ友も、友人達も、結構いろんな人に話したけどみんな優しい人ばかり・・・
電車の中で話しかけてくる悪意のないおばあちゃん方には、何度か「きょうだい云々」は言われたけど(^^; それは仕方ない。いちいち重くなっててもしょうがない。
話を戻して。
お腹の子は実は年末のインフルエンザ流行真っ最中に宿っていて、息子と私がインフル感染していた時に検査をして妊娠判明した子だったので、内科の先生から「インフルエンザが胎児にどのような影響を及ぼすか分かりません」と言われていたので、判明した時「あまり期待しないようにしよう」と思っていた。
だから安定期に入った時は嬉しくて、ホッとして。
(今思えば、どんな状況であろうとも命が宿った事に対して心から嬉しく思うべきだった、と反省している)
※ちなみに、ポッター症候群とインフルエンザ感染は関係ない、とS先生が断言していた。はっきりした原因は無いが、腎臓の疾患は遺伝が多く、次に受精卵の染色体異常であると。
「せっかく安定期入って、良かった〜って思っていた矢先だったんですけどね。安定期後の16〜18週になって初めて分かる病気で・・・」と話しているうちに、安定期に入ったときの嬉しさを思い出して、切なくなって泣いてしまった。
妊娠に、安定期なんて無いんだなと思った。
先生に話す前に決めていた事は、死産を迎える不幸なママと思われたくない、お腹の子は悲しい出来事とは思われたくないという事。
だから、先生にお願いしたのは、この子は意味があって来てくれた事、それは今後家族にとってプラスである事、ちゃんと(保育園に通っている)息子のきょうだいであること、だから悲しい事として捉えて欲しくない、ちゃんとうちの家族はこれからも幸せにやっていくから、見守っていて欲しい、と伝えた。
先生もニッコリして、これからも息子くんをしっかり見ていきますと約束してくれた。
入院当日の朝も、自分で息子を保育園に送った。
先生にお会いして、「今日行って来ます!」と話したら「(お産)頑張って!!!」と笑顔でガッツポーズしてくれた。
当日は14時から入院。
義母が付き添いで来てくれた。
祖母(私の実母代わり)が心配して何度か電話をくれていて、「一人で入院するのは心細いから、誰かに付添いして貰いなさい」と言っていたけど、本当に義母がいてくれて良かったと思う。
1時間くらい待合で待たされたのち、外来の診察室に呼ばれる。
そこでいきなり、子宮口にラミナリア挿入。
これが、めちゃくちゃ痛い。
痛い!!!
痛すぎる!!!!!
え、もうこんなに痛いの!?まだ入院の部屋にも入ってないのに!?!?と頭の中テンパりまくる。
言うなれば、立ってられないくらいの生理痛の子宮を鷲掴みにされて、グリグリひねられている感じ。
私は子宮後屈のため(何故か第一子お産後にそうなった)、最初のラミナリアは形が合わず、無理やり突っ込んでみたが入らず、曲がったタイプの通常より細いラミナリアを一本挿入出来ただけとのこと。
先生も「痛い思いをさせるつもりはないんだけど、、、入らないな、、ごめんね〜」と。。。
無駄に痛い思いをされられた(T_T)←頭の中はこの顔文字でいっぱいだった。
そしてまだほっそいの1本だけだなんて・・・と早々に心が折れた。
たった1本なのに、もう生理痛のような鈍痛が始まる。
いよいよ、これからあらゆる痛みに耐えるのか、と怖くて仕方なかった。
しかも痛い上に悲しいお産だなんて。
何を望みに頑張ればいいのか、何処にも拠り所がなくて心が迷子になっていた。
病室に案内された。3階の病棟。
2階にベビーステーションがあるのは知っている。あぁ、やっぱり配慮されたんだなぁ、と。
生きた我が子には会えないけど、他所様の赤ちゃんに今のところ嫉妬心や憎しみなど汚い心は湧いて来ていなかったので、入院中に新生児の泣き声とかお顔が見れるのは密かに少し楽しみにしていた。
結局3階の病棟では一度も新生児に会えなかった。(結果会えなくて良かった、とも思っていない。ほやほやの赤ちゃん、見たかった〜)
看護師さんから、この後の説明。
この時に、変な話だけれども、もう赤ちゃんのエコーとか、NST取ったりとかは、しないんですよね?と聞いた。
それをしたら、余計悲しくなってしまうから、しないですね・・・とちょっと切ない顔で言われる。
もう生きている赤ちゃんは見られないんだ、と悲しくなって沢山泣いた。
(思えば我が子はエコーの時あまり動いてくれていなかった。一度しか、「あ、動いた!」って思わなかった気がする。)
看護師さんの説明が終わって出て行ったあと少しして、今度は助産師さんが来た。
次はなんの説明だろう?と思ったら、その人は仕事があった訳ではなく、個人的にどうしても話したくて来た、とのこと。
私も、同じ経験をした事があるから、と。
「あのね、お腹の子は、全部知ってるの。産まれる前に神様から自分の運命を全ー部見せられて、それから来るの。
だから、自分を責めないでね。
こういう運命って知りながら、makoさんに会いに来たんだから。」
と伝えに来てくれた。
「私が病気が分かってからすぐ諦める決断をする事も、分かってたんでしょうか?
もっとお腹の中で一緒にいる事も出来たのに・・・」
「うん、ちゃんと分かってると思うよ。それでもmakoさんの子供になりたかったのよ」
そう慰められて、もうぐちゃぐちゃになりながら泣いた。
その人は、初めての子を子宮頸管無力症で亡くしたけど、その子のおかげで自分の病気が分かって、その後2人産んだとのこと。
その後産んだ、という点に希望が持てたのと、一番最初のお兄ちゃんは、ずっと家族を守ってくれている、神様のような存在なの、と。
何か不思議だけど、あ、今護られたな、って思う瞬間が沢山あるそう。
だから、大丈夫だよ、と話してくれた。
赤ちゃん絶対可愛いよ!!!と言ってくれた。
本当に優しくて幸せそうな顔をしていた。
あと、「中絶って言葉が嫌で・・・」と言ったら、被せるように「中絶じゃない!立派なお産なの!!」と励ましてくれた。
そう、その言葉が欲しかった。
中絶なんかじゃない。この子に向き合った、大切なお産なんだと。
あの助産師さんに出会えて、本当に本当に心救われた。
あの助産師さん1人いなかったら、この入院はただの悲しく苦しい出来事ばかりになるところだった。
毎日掛けてくれた言葉を思い出す。本当に感謝している。
義母はというと、ただ同じ部屋に居てくれて、この一連のやりとりを見て知っていてくれるだけで嬉しかった。
振り返ると、最後まで、そして今でもただの一度も泣かずに側にいてくれた。
義母にとっても、孫を喪ったのに。
悲しいはずなのに、私に本当に気遣ってくれているんだろうな。
本当に強くて優しい人。
有り難い。
いつ次のラミナリア挿入になるのかとドキドキしていたが、初日は最初の一回きりで終わった。
明日は、何回あの痛みを経験しなくてはならないんだろうと、とてもとても怖かった。
寝る前、赤ちゃんのお棺に入れるために、折り紙を折った。
折鶴に、赤ちゃんへの手紙を書いた。
あとは花折り紙というものを買っていたので、桜や百合などの花を折った。
折りながら、お腹をさすって、綺麗なお花出来たよ、寂しくないように沢山折るからね、お棺の中綺麗にしようね、などと話しかけた。
ママ明るくバイバイするからね、お腹に来てくれてありがとう、大好きだよ、もうちょっと一緒にいようね、離れても悲しくないよ、ママが死んで記憶が消えて無くなるまで、ずっとあなたのママだからね、お空に帰ってもママはずっとあなたの幸せを願ってるよ、ちゃんと迷わないで神様の元に帰れるようにママお願いするからね、次はちゃんと健康な身体貰ってくるんだよ、オシッコの仕方教えてもらうんだよ、・・・
沢山沢山お腹に向かってお話しした。